オススメ度★3つ その4
「献花」阿部光子著
社会事業家として名のある生活の裏面には、その生活を支えている家族あるいは信者の奉仕あるいは犠牲はつきもののようです。
「わたし」はそういう生活を何十年も続けて、今になって、夫の嘘の生活を恨みもしたが、一方では、その生活を虚偽をも含めて肯定もしているのです。
「死者となった夫に騙されたことは、別のエネルギー源となってわたしを立たせるのではないだろうかと気がついた」というあたりに、この一連の作品の主眼があるように思われます。
「献花」阿部光子著
社会事業家として名のある生活の裏面には、その生活を支えている家族あるいは信者の奉仕あるいは犠牲はつきもののようです。
「わたし」はそういう生活を何十年も続けて、今になって、夫の嘘の生活を恨みもしたが、一方では、その生活を虚偽をも含めて肯定もしているのです。
「死者となった夫に騙されたことは、別のエネルギー源となってわたしを立たせるのではないだろうかと気がついた」というあたりに、この一連の作品の主眼があるように思われます。
「献花」阿部光子著
夫は金がないと言うとき、「のっぺりした表情」をした。
これは嘘だとわからせるための暗号のようなもので、尊い事業のためには止むをえないと観念操作をしていたのでした。
それを薄々感じながら「わたし」が、同情心から「心を宥めてごまかしていたのも意気地のないことだった」と気づく。
つまり、人は社会のために尽くさなくてはならないという親の教えに夫は忠実だったのだ。
自分もその夫に同情していたのだから何をか言わんや、ということなのです。
「献花」阿部光子著
「夫は父の後継ぎである司令官とうまくいかず、この団体から離れたが、決してこの世の安楽な生活を求めて去ったのではないという証拠に、社会事業関係の仕事しかしなかった。」
その夫は一人分の下宿代ほどの金を「わたし」に渡すだけで、先妻の産んだK(それが「夫の長男」となる)とその妹、わたしの産んだ四人の子供の生活を支えていく搬寄せは全部、わたしに集中した、というのです。
社会事業家として名のある夫は、家庭をかえりみないのを当然としていました。
社会に奉仕することだけが生きる道であり、家族が困ることはそれだけ聖人の道に近づいた証拠でもあると錯覚していた。
夫の死後、残されたものを整理してみて、高価な洋書を図書館や施設に寄附していたと知って愕然とする。
「献花」阿部光子著
この本には六つの短篇が入っていますが、まとめてひとつの長編とも言えるような連作となっています。
「わたし」という視点から見た夫、夫の姉妹、あるいは「夫の長男」などが描かれていて、いわばその赤裸な家族関係を追求している私小説といえるでしょう。
夫やその家族が所属する宗教団体は「夫の父が、日本での創立者であるが、イギリスで始まって世界各国にひろがっているこのキリスト教の団体は、社会事業を重んじ、軍隊組織で世を浄化しようと志すものです。」
とあるのでえ、暮の社会なべで知られる救世軍のことであり、「夫の父」とあるのは山室軍平のことだと思われます。
中世の昔には、一定のストーリーやモチーフについて文学者は詩にうたい、画家は描き、刺繍家は刺すという平行した作業が繰り返しおこなわれていました。
お互いに深いつながりを持っていたわけだが、中でも、壁面を飾る刺繍の壁掛けは、聖人の祭日や一般人の冠婚葬祭の日に展示され、民衆の共感をかちえたのです。
バイユーのタピスリーは白いリネン地に黄・緑・赤・青・黒などの撚った八色の毛糸で刺してあり、文字や顔や手の部分にはチェーン、ステム、スプリットなどのステッチがつかわれ、あとの部分は縦横に糸を張って地布を埋める方法、つまり、レイド・アンド・カウチド・ワーク(後述)に仕立てられています。
ちなみに、タピスリーというのはフランス語で、英語ではタピストリー、または、タペストリーと呼ばれています。
十九世紀になってこの古い作品は補修されたましが、その時、終りの方がすでに切りとられていました。
フランスの公爵がイギリス国王(ハロルド)をたおしてイギリスを征服したという物語は、近代のイギリス人にとってたしかに好ましいことではなかったことでしょう。
ところが十二世紀の初めにこのタピスリーを眺めてその美しさを詩にうたった人がいて、その描写と比べてみると、切りとられた部分に何が描写されていたかがはっきりしたのでしだ。
バイユーの刺繍もガーンジーの編物も、このようにヴァイキングが媒体となってヨーロッパ南北の手芸を結び合わせた結果だった、と考えられるのです。
ノルマン王朝の設立に手柄を立てたウィリアム征服王の異母弟ナドが、その政治的野心のためにイギリスから追放されたあと、余生をすごしたのも、同じヴァイキングの国シチリア島のパレルモの宮廷であったことも、こうした南北の交流の深さを物語っています。
そして、この作品の形式についてもうひとつつけ加えます。
パイユーの壁掛けはリネンの地布に図柄を刺繍してあるだけでしたが、その後、十四世紀から十八世紀にかけては、殊に毛糸刺繍の場合、地布をべったりとステッチで埋めてしまうようになっていました。
だからこそ、十八世紀にこの作品が再発見された時、人々はこれを未完成品と見なしたのです。
すでに述べたように、タピスリーというのは本来つづれ織りの壁掛けであるはずなのに、地布を刺繍で埋めつくした織物まがいの刺繍という意味にも用いられるのは、このような十八世紀の習慣によるものなのです。
ヴァイキングはヨーロッパの南北を海路で結んでいたし、ノルマンディー公が地中海で活躍しているその一族と深いつながりを持っていました。
つまり、バイユーのタピスリーは北欧の形式と南欧イスラムのテクニックとの協力によってできあがったものだったのです。
ガーンジーとジャージーのことを思い出してみます。
両島ともノルマンディー半島の西にあり、ルーアンからジブラルタル海峡を通ってシチリア島にいたる海路に臨んでいます。
ということは、これらの島々から編物の技術やパターンがバルト海の沿岸に普及していっただけではなく、さらに奥深いルーツをシチリアのイスラム手芸に求めることができるわけです。
ちょっとマニアックな内容かもです。
長さが七十メートルもありながら、幅がなぜ五十センチしかなかったのかという大きさの問題ですが、これは、天井の低い北欧の室内生活では壁面と天井の境目から吹き込んでくる寒気を防ぐため、壁面の上部に細長いカーテンを張りめぐらしたことの名ごりだそうです。
それに、長い冬ごもりの退屈さをまぎらわすため、北の人々はそのカーテンに毛の色糸で物語を刺繍し、繰り返しそのストーリーを語っては楽しみの種にしました。
バイユーのタピスリーがリネン地に毛の色糸で刺したわけがこれで納得されると思います。
しかし、この作品に使用されているステッチがイスラム伝来のものであるとは十分に考えられます。
横浜の海上保安庁第三管区保安本部に所属する特殊救難隊。
横浜港の海上防災基地にある屋内水槽で連日、救難訓練に励む。
水槽はたてに二十五メートル、幅十メートル、
深さ二.五メートルの大型ステンレス製。
遭難時を想定して流水、造波、横風発生装置のほか、
ヘリコプターの吹き降ろしのダウンウオッシュ装置を備える。
最初は転覆船内に閉じ込められた生存者の救出訓練。
転覆船を想定したゴムボートの下で助けを待つ。
潜水服の隊員二人が水中から現れ、「大丈夫ですか」。
小型空気ボンベを背負わされ、救助用全面マスクを頭に。
呼吸もしゃべることもできるが苦しい。
水に潜り、船内を想定した障害物をくぐったりして進む。
ボンベが網にひっかかる。はずすのが最も難しい。
次はヘリコプターからの吊り上げ救助訓練。
上空から毎秒十ねメートルの高さから二人の隊員が飛び込み、
救助ベルトを取り付け、ワイヤーロープをベルトにひっかけ引きあげられる。
波しぶきが目に飛び込む……
特殊救助隊は発足以来二十年、約千四百六十件、七百人を助けた。
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