あの企業の歴史を(^ω^)その7
戦後日本の特徴は、家電時代といってよく、この家電元年にプラスチック製ラジオと噴流式の洗濯機を大ヒットさせた三洋電機は、つづいて色鮮やかなカラーテレビ時代の先鞭をつけました。
昭和三十七年に三洋は資本金を百三十二億円に増資しています。
わずか十五年間で、ゼロからはじめて売上高九百億円の大企業にのし上がったのだから、それはまるで虹をつくり出したようなものだった。
その頃になると、トランジスタラジオをアメリカ市場に売り出したのを手はじめに、ぞくぞくと海外進出をはかって、アメリカに生産拠点をもつまでになりました。
昭和四十二年、三年後に大阪で開催される予定の万国博覧会に三洋は参加を発表しました。
だがパビリオン建設中の昭和四十四年七月十六日、国立大阪病院に入院していた井植歳男社長は、六十六歳を一期として帰らぬ人となりました。
まだまだこれからの活動を期待されつつ、卒然として巨星は墜ちたのです。