あの企業の歴史を(^ω^)その4
虹をかけるように急成長。
いずれラジオ時代がくるというので、薫はラジオ製作の研究にふけり、祐郎は総務を引き受けたが、折から起こった朝鮮動乱が特需景気をもたらして、日本経済はようやく低迷期を脱した。
そして昭和二十六年、民間放送が認可されて、予想どおりラジオ時代が到来した。
一万円以下の値段で十万台売ってやろうと薫資材部長は考えていたけれど、木製のキャビネットではどうしてもコスト高になります。
そこでほかにはない新機軸を打ち出すために、プラスチック製のラジオをつくることになりました。
この新型ラジオSS-五二型が量産されて市場に出ると、これが大ヒットして、発電ランプに次ぐ第二の柱となりました。